石園坐多久虫玉神社
いそのにますたくむしたまじんじゃ

旧社格 県社・式内大社
所在地
大和高田市片塩町三0二番地鎮座

御祭神 主祭神 建玉依比古命 (たけたまよりひこのみこと)   北殿
建玉依比賣命 (たけたまよりひめのみこと)   南殿
相祭神 豊玉彦命 (とよたまひこのみこと)
豊玉比売命 (とよたまひめのみこと)
末社祭神 大己貴命 (おおなむちのみこと)  金刀比羅宮
宇迦魂大神 (うかのみたまのおおかみ)  稲荷神社
恵比須大神 (えびすおおかみ)  恵比須神社
白永大神 (しらながおおかみ)  白龍社
由 緒
石園坐多久虫玉神社由緒

御神徳    産業主宰の霊神
工匠の祖神
祈雨・長寿・知慧の霊神
安産の守護神
和合家業繁栄の守神
沿革
当神社の由緒は久遠にして創立は神代と元ひ安寧天皇浮穴宮跡の浄地に祭祀せられ給ふ
第十代崇神天皇の御勅祭に預り給ひしは國史に明かなり延喜の制には大社に列し並大・月次新嘗安上の官幣に預り給ふ 神護元年には神戸を領し貞観元年正月神階従五位に叙せられ従一位は園の大暦に見へ享保年間正一位に進み給ふ
元和二年迄は当葛下郡八十六箇村の郷宮にして其の規模の廣大祭祀の盛麗厳粛なりしは梁札及び古文書に明らかにして霊威赫々神跡照なりしは衆知の處也亦の名を龍王宮と稱える
年中行事
    月次祭   毎月一日・十五日        宵宮         十月八日
    歳旦祭   一月一日             御例祭 例祭    十月九日
    節分祭   二月節分の日          神輿渡御      十月十日
    祈年祭   四月八日             新嘗祭        十二月八日
    夏祭    七月八日             除夜祭        十二月晦日
     -境内の案内板より-

大和高田市形塩鎮座の社を、式内大社にあてている。『三代実録』の貞観元年(859)正月二十七日近畿七道諸紳進階の中に石園坐多久豆玉神を従五位上に昇叙とあるが、その注記に、「豆、原作虫 按姓氏録左京紳別有 多久都玉命、今推改」とあって、その後の諸書に豆あるいは虫とある。『大和志』では、虫でなく豆だとし、さらに『新抄格勅符抄』の紳封の部に、「射園神一戸美濃」とある。葛下郡十八座の式内社中、当社は二度とも式内大社に列し、月次・新嘗の二度案上官幣に預った神社である。俗に竜王宮とも称する。創祀年代は、明らかでないが、「社記」では貞観元年の神階昇叙後も度々進階して、享保三年(1718)十月、正一位に進んだとある。 今、主神に建玉依彦命・建玉依比売命、配紳に豊玉彦命・豊玉比売命を、相殿紳として、天児屋根命・国狭立命を祀る。
 前記『姓氏禄』巻第十一「爪工連」の条に、「神魂命ノ子多久都玉命三世天仁木命之後也」とあり、同巻第十九の爪工連に「雄略天皇御宇。紫蓋爪を御座にかざり奉る。仍って爪工連姓を賜う」とある。玉体をおおう御笠や頭髪や冠への挿頭の制作を業としたこの地方の爪工氏の租紳であったとみられる。
 古来竜王宮と呼び、祈雨紳、農耕紳としても崇敬されたが、今も御田植祭が盛大に行われる。社宝の、文政十三庚寅(1829)九月吉辰等墨書のある『おかげ参り』の絵馬が珍しく、県指定重文。今のニチイ付近に、かって当社神宮寺の伝福寺があった。寺内諸坊に社僧がいたことは、天和二年(1682)七月の「竜王縁起」に「大阿闍梨 伝福寺安阿弥 海呑(号徳) 奥防良祐、 舜教、尊海、崇善、祐雅、西防順尊 善海 地蔵院別当社僧並施主等ト棟札認メ有」と記されていることでもわかる。
 『大和志』に当社について「上梁文 曰承久元年(1219)七月重修 又云応永十二年(1405)磯野中村横大路今里氏人等再造 今与本村共預 祭祀」とあるが、社記には明治維新まで保管されていたが今亡失の梁札(木鏡で円形口径凡一尺)に「承久元年奉重修御本殿 別当□□函吉村」の外、脇に領土内稲米の美地太田荘から紳供米奉納などとある、応永の棟札(凡九寸)には「応永十二酉七月奉再建御宝殿(別当)吉村源兵衛」とあり、脇書に「今年太田荘爾隠住竜王社別祭太田荘云布施」とある。
     -奈良県史(神社)より-


神社全景

入り口からの景観

安寧天皇

片塩浮礼宮跡の記念碑

入り口左側にあります。

由緒書

拝殿

左側に社務所

拝殿と本殿

境内社
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