勝手神社
かってじんじゃ

旧社格 村社
所在地
奈良県大和高田市神楽二丁目七番34

御祭神 主祭神 正哉吾勝々速日天忍穂耳命 (まさかあかつかちはやびあめのおしほみのみこと)
末社祭神 大物主命 (おおものぬしのみこと) 金比羅神社
国狭土命 (くにさじのみこと) 八王子神社
由 緒
「経覚私要鈔(けいかくしようしょう)」に文安四年(1444年)、布施氏が押し寄せ、「深楽(しんらく)」の堂塔を焼いたという記録が見え、「寛永郷帳(かんえいごうちょう)」にも「秦楽村(しんらくむら)」と記され、古来から秦氏とのかかわりが深いところとされている「日本書記」には、”韓人、池を造る”とあり、渡来人が、百済の「甘羅(かむら)」の地名を移して「神楽(かむら)」の文字をあて、これを音読して神楽(じんらく)とした説がある。
氏神、勝手神社(吉野、勝手神社の分紳)の祭神は、正哉吾勝々速日天忍穂耳命(まさかあかつかちはやびあめのおしほみのみこと)で、即ち、雷神のことで、天空の音楽の神といわれる。むかし、このあたりに雷が落ち、村人が金たらいをさげて、遠巻きにして取り押さえると雷は、ふたたび、ここえは落ちない、と約束したという伝説などとともに、ここは、歴史、民俗とともに興味多いところである。
大和高田市教育委員会
     -境内の案内板とリー

神楽集落の東方南より国道枚方高田線の西側に鎮座する旧村社で、正哉吾勝々速日天忍穂耳命を祀る。明治二十四年の「神社明細帳」に、吉野山の勝手神社の神の分霊とあるが、吉野山の勝手神社は「金布山秘密殿峯山秘密伝」に「多聞天王の垂迹、仏法護持の大将」とあり、江戸期には神主二、社僧十七をみつ金峯山修験者の崇敬あつい神社であった、この地方古来の風習に大峯山へ行者詣の往復には、必ず先達に引率されて当社に参詣するのが例であった。当社の創祀は当地方の人々の金峯山修験信仰の篤さから吉野の勝手神社を勧請したのに違いない。
例祭は十月十日の夜宮祭で、七月二十二日の夏祭に参詣する氏子たちは、本殿と拝殿の間の砂利で盛り上げた小山に線香を二本宛立てて拝礼する習わしがある。
     -奈良県史(神社)より-


参道と鳥居

神社の東側の神楽池の北側

拝殿

本殿

本殿の向こう側にわ高田警察署が県道5号線を隔ててあります。

県道側から見た神社瑞垣
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