天神社
てんじんじゃ

旧社格 郷社
所在地
奈良県大和高田市三和町2-15

御祭神 主祭神 高皇産霊神 (たかみむすびのかみ)
神皇産霊神 (かみむすびのかみ)
津速産霊神 (つはやむすびのかみ)
末社祭神 倉稲魂神 (うかのみたまのかみ) 稲荷神社 「衣・食・住の神・万民豊楽の神」
猿田彦神 (さるたひこのかみ)
大宮比売神 (おおみやひめのかみ)
天照大神 (あまてらすおおみかみ) 神明社  「天照皇大神」
菅原道真 (すがわらみちざね) 天満宮  「学問の神」
市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと) 厳島神社 「音楽の神・水の神」
当麻参河守藤原為政命 (とうまみかわのかみふじわらためまさのみこと) 当麻神社 「郷土の守り神」
津速魂命 (つはやむすびのみこと) 津速魂神社
蛭子神 (えびすのかみ) 恵比須神社 「商売繁盛の神」
事代主命 (ことしろぬしのみこと)
由 緒
天神宮縁起書によれば第十代崇神天皇の御代の御鎮座である。
現存する御本殿の最も古い棟札は貞応元年(一二二二年)のものである。
御本社は高皇産霊神・神皇産霊神・津速産霊神をお祭りしている。
この神々は「古事記」や「日本書紀」に造化の神として記されている。又、本居宣長著「玉鉾百首」にも「神の道は高皇産霊神・神皇産霊神のお働きに始まる」と記されている。
     -境内の案内板より-

JR高田駅の裏、三和町の北西に鎮座、古来旧高田町の総氏神であった。祭神は高皇産霊神で、『古事記』上巻に天地のはじめの時天之御中主神、神皇産霊神と共に高天原に成りました天地根源の造化三紳の一と仰がれた神である。旧郷社。創祀は明らかでないが式外の神社ながら古くからの鎮座で、明治二十四年(1891)の「明細帳」に「略縁起ニ依レバ人皇十代崇神天皇ノ御宇ニ鎮座」とあるが裏付ける資料なく、その由緒をさぐる唯一の史料は社殿の棟札である。『大和志』にも「高田天神祠 高田村有簡六片皆上梁文也、一ハ貞応元年(1222)七月、一ハ弘安六年(1283)八月、一ハ応永二年(1395)二月、一ハ嘉吉三年(1443)四月一日、一ハ文明十四年(1482)三月、一ハ享禄四年(1531)三月重修」とある。最古の棟札正面に「貞応元年七月□□別一結諸衆六十余人総家延永在地安穏諸人悦楽天下法界□□当麻宗正 大中臣行清并刑部□衆」左面に「大壇主抄弥淨為 当麻為清 同為信 同仙寿丸 当麻為祐」など記されているが、平田荘宮であった当麻氏が貞応元年にその一族と共に皇租天神を祀ったことを実証している。しかも前記縁起書にいう古代から祀られていた小祠を改めて当麻氏が造立したともみられる。『大和志』にもあり、今も社蔵の棟札銘から享徳四年三月第六度目の造立まで310年間60年毎領主当麻氏によって造り替えられてきたので、この神社の崇敬を軸として当麻氏一族やこの地方民が団結を堅くする精神的な紐帯になったことは確かである。享徳以後の当麻氏滅亡後はこの地方の氏子によって重修され今日に及んでいるが現存の棟札では、慶長十八年(1613)・正保二(酉乙)(1645)・天和元年(1681)・元禄十五年(1702)・享保六(丑辛)年(1721)・延享元年(1744)・寛政・文化・弘化・明治から昭和五十四年まで十三度の重修が記録されている。
 例祭は十月十一日。本社の西南約二百メートルの廃寺跡は当社神宮寺であったと思える福満寺の後で、文明十四年の棟札銘に『神社造立代官福満寺地蔵院果惠]とある。
     -奈良県史(神社)より-


神社鳥居

JR大和高田駅前

鳥居からの参道

参道の左右に境内社が鎮座しています

裏参道

拝殿

正面からの拝殿

本殿

覆い屋があり、千木・かつお木もあります

社務所拝殿の前

稲荷社

倉稲魂神(うかのみたま)(五穀の御魂の神で稲の魂)猿田彦命(導きの神で悪魔祓いの神)大宮比売命(商売繁盛の神・富貴の神・家内の守り神で善きを勧め悪きをこらす神)の三柱の神を御祭神としています。

神明社

天照大神をご祭神としています。日本神話の最高神でイザナキ・イザナミの二神の子にあたられます。
高天原を統治なさった神様で皇室の皇祖神であります。伊勢神宮(内宮)の御分霊です。

天満宮

菅原道真公をご祭神としています。
平安朝の華やかなりし頃、時の左大臣藤原時平の策略により大宰府に流された文人政治家、菅原道真の死後京都では干ばつ・流星・大地震・大雷などの天変地異が続きました朝廷は、道真の霊を慰めるため、京に天神を建立しました。その後天満天神は道真のたぐいまれな漢学者・文学者としての才能により学問の神として、又、干ばつ農地に大雷・降雨をもたらしたことにより農業の神として「学問成就」「豊作祈願」「正直・慈悲の神」などの意を持ち、広く庶民の信仰を集め今日に至っています。

弁天社

市杵島姫がご祭神で天照大神が素盞鳴尊と誓約なさった時お生まれになった神様で神仏習合の結果。弁才天に当てられるようになったのです。この神様は、音楽の神・水の神としてあがめられヘビが使者とも言われ福の神として七福神の一つにされています。昔から水商売の方の信仰が厚いようです。

恵比須社

蛭子命(えびす)をご祭神としています。漁業に関係する代表的な神様で中世以降七福神の一つに数えられるようになり都会地では商業守護神として又、市場神として崇敬されるようになりました。当戎神社も高田はもちろんのこと近郊近在の人達から商売繁盛、家内安全の守護神として信仰されています。

当麻社

高田城主、当麻参河守藤原為政命をご祭神としています。
当天神社のご造営にも寄進があったこと、当天神社を崇敬なさっていたことなどが古文書などに見えています。また、高田の守り神として当麻氏族はもちろん郷土の人達にもあがめられています。
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