天満神社
てんまじんじゃ

旧社格 郷社
所在地
奈良県大和高田市根成柿614

御祭神 主祭神 菅原道真 (すがわらみちざね)
末社祭神 天児屋根命 (あめのこやねのみこと) 春日神社
応神天皇 (おうじんてんのう) 八幡神社
市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと) 厳島神社
由 緒
根成柿集落のほぼ中央北よりに鎮座、菅原道真を祀る旧村郷社。
創祀については諸説あり、その一は「大和志」に「上梁文 白永録七年十一月民部少輔越智家高重脩」との銘と、元社前にあったという石燈籠に健武年号(1334-36)が刻まれていたことを根拠とする永禄七年(1564)以前創祀説で第二は「越智家譜伝」第三巻に「永禄七年建立根成柿神社」とあり「越智古老伝」に「御宮八郷段別以十文宛御造営・・・永録七子申十一月五日也」とあることや、中井家所伝の古文書にも永録七年創祀と説く。第三は社家(鈴鹿氏)の伝承で、現橿原市川西町字北野の天満宮御旅所の地から勧請されたとの説であるがいずれとも速断し難い。
前記「大和志」高市郡式外の天神神祠として当社について「上梁文 曰永録七年十一月民部少輔越智家高重脩 又曰天正五年(1577)十一月越智家栄重脩 又曰十年九月中窪弥十郎重脩 十三村ノ民相共ニ祭祀」と記し、十三村とは根成柿・吉井・奥田・西坊城・出・勝目・川西・古作・観音寺・常門・萩本・新堂で、「大和志」成立の享保二十一年(1736)ころの氏子区域を示している。越智氏没落後は、別当中窪氏によって祀られた。例祭は十月十七日で、夜宮の十六日に神楽祈祷が行われ、御旅所川西の宮座講員による奉幣行事もある。当社に永録の棟札の外、天正五年(1577)十一月吉日・同十九年九月十三日・慶長十四年(1609)九月二十一日・寛永三年(1626)・慶安元年(1648)・寛文六年(1666)より明治十一年(1878)に及ぶ棟札十七枚所蔵。紳域近く南側の玉垣内に古い石塔二基あり、黄金塚と呼ぶ。「扶桑略記」の昌泰元年(898)十月十五日宇多上皇が宮滝行幸の途次、この付近にあった菅原道真の山荘に宿泊された所と伝える。元当社の神宮寺であった安楽廃寺は当社境域に接して残るが、小堂内に観音像が安置され、堂前の法華経読誦碑に「南無妙法蓮華経千部読誦文明五年(1473)三月十二日家栄敬白」とあり、文明年間の領主越智家栄の祈願碑である。境内社は三社は春日神社(天児屋根命)・八幡神社(応神天皇)・厳島神社(市杵島姫命)である。
     -奈良県史(神社)より-


神社全景

社殿

社殿

本殿と境内社
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