池坐朝霧黄幡比売神社
いけにますあさぎりきはたひめじんじゃ

旧社格 指定郷社・式内大社
所在地
奈良県磯城郡田原本町法貴寺502

御祭神 主祭神 天万栲幡千千比売命 (あめのよろずたくはたちちひめのみこと)
菅原道真 (すがわらみちざね)
末社祭神 梅尾丸 梅尾神社
松尾明神 (まつおみょうじん) 松尾明神社
春日四柱神 (かすがしはしらのかみ) 春日神社
須佐男命 (すさのおのみこと) 須佐男神社
事代主命 (ことしろぬしのみこと) 事代主神社
市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと) 市杵島神社
不詳 皇子神社
由 緒
初瀬川東岸に鎮座。天万栲幡千千比売命・菅原道真を祀り、天満社とも称する。旧郷社。「延喜式」神名帳の城下郡「池坐朝霧黄幡比売神社(大、月次相嘗新嘗)」に比定される(大和志)。「延喜式」九条家本・金剛寺本は黄幡を横幡と記すが名義不詳。池は地名と思われ、当社西方、下ツ道の西に奈良興福寺領池辺荘があった。天平二年(730)の大倭国正税帳(正倉院文書)には「池神」とみえ、神戸の租稲七七束のうち四束が祭祀料に、五十束が神嘗酒料に充てられていた。大同元年(806)の牒(新抄格勅符抄)では大和国に神戸三を有し、天安三年(859)一月二十七日従五位下より従五位上になっている(三代実録)。中世には長谷川党法貴寺氏の氏寺として栄えた法貴寺が隣接し、当社はその鎮守神であったといわれる。貞応二年(1223)に書写された大般若経巻401(五島家蔵)には「大和国長谷川法貴寺天満天神」寛文十二年(1672)の法貴寺記録(大和志料)に「天満宮」とみえ、天慶九年(946)の鎮座とし、九月十七日の祭礼には流鏑馬・紳能のあったことを記す。至徳元年(1384)の長川流鏑馬日記(天理図書館保井文庫)によると、若宮御祭りの願主人は六月一日、法貴寺天満宮へ社参して神楽を催し、九月十九日の法貴寺の神事の宵宮に神楽・流鏑馬をして、十二月二十七日の若宮御祭りには当社へ集合して奈良へ向かったという。永正二年(1505)九月十九日には多聞院英俊が神事見物のため下向している(多聞院日記)。
     -寺院神社大辞典(大和・紀伊)より-

神社入口
神社入口
参道 社号標
参道

社号標
手水蜂
手水舎
由緒石碑
池坐朝霧黄幡比売神社の由緒碑
拝殿
拝殿
狛犬 狛犬
狛犬
拝殿からの本殿
拝殿からの本殿
本殿
本殿
瑞垣右側の境内社
本殿右側の境内社

梅尾・松尾・春日
瑞垣左側の境内社
本殿左側の境内社

皇子神社?
瑞垣外右側の境内社
瑞垣外右側の境内社

須佐男・事代主
瑞垣外左側の境内社
瑞垣外右側の境内社

波知久麻明神社・市杵嶋・琴比羅
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