鏡作坐天照御魂神社
かがみつくりいますあまてるみたまじんじゃ

旧社格 県社・式内大社
所在地
奈良県磯城郡田原本町八尾字ドウズ814

御祭神 主祭神 天照國照彦天火明命 (あまてるくにてるひこほあかりのみこと)
石凝姥命 (いしこりどめのみこと)
天糠戸命 (あまのぬかどのみこと)
摂社祭神 天八百日命 (あめのやおひのみこと) 鏡作坐若宮神社
末社祭神 天照皇大神 (あまてらすすめらおおかみ) 天照皇大神社
手力雄命 (たじからおのみこと) 手力雄神社
表筒男命外三柱 (うわつつおのみこと) 住吉神社
天児屋根命 (あめのこやねのみこと) 天児屋根神社
狭依比女命 (さよりひめのみこと) 狭依比女神社
太田命 (おおたのみこと) 鍵取神社
火産霊神 (ほむすびのかみ) 火産霊神社 (笛吹神社)
八意思兼命 (やいおもいかねのみこと) 八意思兼神社
少彦名命 (すくなひこなのみこと) 少彦名神社 (粟嶋神社)
事代主命 (ことしろぬしのみこと) 事代主神社
市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと) 市杵島神社 (厳島神社)
宇賀魂神 (うかのみたまのかみ) 保食神社
大己貴命 (おおなむちのみこと) 大国主神社
猿田彦命 (さるたひこのみこと) 猿田彦神社
由 緒
「倭名抄」鏡作郷の地に鎮座する式内の古社である。
第十代崇神天皇のころ、三種の神器の一なる八咫鏡を皇居内にお祀りすることは畏れ多いとして、まず倭の笠縫邑にお祀りし(伊勢神宮の起源)、更に別の鏡をおつくりになった。社伝によると、「崇神天皇六年九月三日、この地において日御像の鏡を鋳造し、天照大神の御魂となす。
今の内侍所の神鏡是なり。
本社は其の(試鋳せられた)像鏡を天照国照彦火明命として祀れるもので、この地を号して鏡作と言ふ。」とあり、ご祭神は鏡作三所大明神として称えられていた。古代から江戸時代にかけて、鏡池で、身をきよめ鏡作りに励んだといい、鏡の神様としては全国で最も由緒の深い神社である。
     -境内の案内板より-

奈良県田原本町八尾の東部に鎮座し、天照国照彦火明命・石凝姥命・天糠戸命を祀る。旧郷社。「延喜式」神名帳の城下郡「鏡作坐天照御魂神社(大、月次新嘗)」に比定される(大和志)。鏡作は「和名抄」に載る城下郡の郷名で、当社鎮座地付近と考えられ、近くに鏡作伊多神社(大字保津・宮古)・鏡作麻気神社(大字小阪)がある。天平二年(730)の大倭国正税帳(正倉院文書)によると、鏡作神戸の租稲二十五束三把のうち四束が祭紳料に充てられ、大同元年(806)の牒(新抄格勅符抄)では大和で二戸、伊豆で十六戸の紳封が寄せられた。天安三年(859)一月二十七日、従五位下から十五位上に昇叙(三代実録)、「大同類聚方」には神主水主直の家に伝える阿可理薬のことが記される。「大和志」は当社について「在八尾村与宮古但馬黒田岩見今里西代新町村共預祭祀社傍有鏡池池今乾涸」と記す。現在も境内に鏡池があり、近世には造鏡師が鋳鏡を洗い清めたと伝える。社前の狛犬は天保年間(1830-44)に大坂の鏡屋中が奉納したものである。ちなみに当方南方、大字新町付近に小字カジヤ垣内、小字カジヤがあある。
     -寺院神社大辞典より-


神社入り口

鳥居横の案内板

参道途中からの拝殿

由緒碑

拝殿

拝殿に掲げられている額

鏡池

本殿

左側に本殿・右奥に若宮

若宮社

本殿の右側に鎮座

本殿

正面からの本殿

本殿右側の境内社

天照皇太宮・手力雄神社
住吉神社・春日神社

本殿左側の境内社

八意思兼神社・粟嶋神社
事代主神社・厳嶋神社 保食神社
大国主神社・猿田彦神社

境内社

狹依姫神社

境内社

鍵取神社、笛吹神社

金毘羅社

社務所横の鐘楼

鐘楼横の石碑
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