孝霊神社
こうれいじんじゃ
鎮座地
奈良県磯城郡田原本町黒田字古苗代262

御祭神 主祭神 孝霊天皇(大日本根子彦太瓊尊) (おおやまとねこひこふとにのみこと)
倭迹迹日百襲姫命 (やまとととひももそひめのみこと)
彦五十狭彦命 (ひこいさせりひこのみこと)(吉備津彦命・桃太郎噺のモデル)
稚武彦命 (わかたけひこのみこと)
末社祭神 火産霊神 (ほむすびのかみ) 荒神神社
保食神 (うけもちのかみ) 稲荷神社
由 緒
もと法楽寺の鎮守社であったが、明治時代初期に現社地へ遷座をし、黒田村の氏神として引き継がれた。旧地より移したものに「明和七年」の紀年銘をもつ石燈籠一対がある。
岡山県や香川県など日本各地に残る桃太郎の伝説地の多くは、古事記・日本書紀に記されている孝霊天皇の皇子の彦五十狭彦命と稚武彦命兄弟の活躍に由来するものである。第七代孝霊天皇の黒田廬戸宮は、田原本町宮古(「都」の意)からこの黒田のあたりを指し、この一帯は古代の地名を残した貴重な所である。孝霊神社の周辺には、弥生時代の黒田遺跡や、古墳時代の前方後円墳・黒田大塚古墳がある。この前の道は、聖徳太子が通ったとの伝承をもつ太子道である。
     -境内の由緒版より-

考霊天皇を祀る旧村社で、元は法楽寺境内にあったのを、明治初年神仏分離で、現在地に遷座した。明治二年甲請状之事(黒田富田家文書)に「今般御一新ニ付神仏混稀之義格別之御諏意厳志之御布令も御座候ニ付、村方江御遺シ被下よう」との願書が黒田村から法楽寺宛て出され、先例のよう取りはからうことを約して村の氏神として引継ぐことを約している。
     -奈良県史(神社)より-


神社入口

扁額と由緒案内板

拝殿

鳥居横の石灯籠なぜか製作途中と思われる灯籠が一基!不思議です。

本殿
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