市座神社
いちざじんじゃ

旧社格 指定村社
所在地
奈良県天理市丹波市町中之町355

御祭神 主祭神 事代主命 (ことしろぬしのみこと)
末社祭神 事代主命 (ことしろぬしのみこと) 恵美須神社
事代主命 (ことしろぬしのみこと) 妙見社
由 緒
丹波市町の中央、上街道東側の森にある旧指定村社で、事代主命を祀る。
 創祀は明らかでないが、境内社の妙見社(事代主命)の所伝を記した安永四年(1775)閏12月の「座主規定禄改帳」に『蛭子様丹波之国より此所え鎮座ましまし候由ニ承り及申事ニ御座候』と記しているのみである。
 妙見社は、当初丹波市氏神妙見大菩薩と称してこれを守護してきたのが、糀屋・油屋・鍛冶屋の三軒が座主であったという。これら所伝では、現在の妙見社と蛭子社が混同されているようにみられるが、要するに当社は古く妙見社と呼ばれて妙見菩薩を祀っていたところ、この地へ丹波国から遷座と称する蛭子社をも奉斎、明治七年以降市座神社と改称されたのでなかろうか(『天理市史』)。
     -奈良県史(神社)より-

由緒板
神社入口
神社入口

左側が恵美須神社
社標 参道の鳥居
拝殿
拝殿
狛犬 狛犬
拝殿前の狛犬
本殿
本殿
社殿
側面からの本殿
境内
境内
境内社
境内末社 妙見社

妙見社の由来
「妙見大菩薩」とは、尊星王 又は 北斗妙見菩薩とも申され、北極星を神格化したものです。長寿を招き、除災招福、眼病平癒の有難い神様でございます。元々は、釈迦以前のインドの宇宙観に組み込まれていた古代の神々の中の一種でありましたが、北極、北斗に因んで中国の道教の影響を強く受けておるとも言います。
当地に祀られている妙見社についてですが「氏神妙見大菩薩」とか「氏神妙見宮様」等々と古記録にあり『蛭子社』(事代主命えびすさん)と並んで大変古い時代から当地に祀られていました。
丹波庄の名はすでに平安時代からありましたが、丹波市として記録に出てくるのは室町中期以降とのことです。丹波庄と言われた時代の集落は奥の垣内(現在地より数百メートル西方)にあり、糀屋・油屋・鍛冶屋の三棟と、その他の方々により構成されていましたが、その後、上街道筋の大いなる発展に伴い丹波庄の市場として、丹波市の名が生まれ多くの人々も現在の丹波市の地に移り住居を構えました。
その氏神「妙見大菩薩」も奥の垣内の旧地から市場の妙見山の地に勧講され、これを守護としてきたのが前述の糀屋・油屋・鍛冶屋の三軒の宮座主でありました。元集落は、丹波市町の西方の字中村(現在の中村池付近)にありまして、その跡には妙見という字名もあるとのことです。今の地は妙見山と称し、この地は霊験あらたかなる故に、社の鎮座地をここより動かさぬように講中で取り決めたと記録にあります。「其の昔、丹波庄より此の方古き書物等は何方に而紛失在り候哉、相知れ不申候に付き此の度改前々昔よりの聞き伝え通新敷久帳面を揃え書写永永記録に残し置候事云々・・・・・・」と書かれている安永四年(1775)閏十二月の丹波市村座主規録改張(丹波市区有)に妙見大菩薩之由来を載せ、その中には承応三年(1654)、天和三年(1683)、元禄十六年(1703)にわたる結鎮の記述があり、観音講と共に妙見社への献供が大変丁重であったことが記述されています。残っている承応三年の記録が最も古いですが、現在妙見社の創始については不詳です。
「神体妙見大菩薩江備物云々・・・・・・・・」「この妙見大菩薩は殊の外にあらたかなる義に御座候云々・・・・・・」また、「座中村方随分と信心強く相守り拝し奉らば此上繁昌益々栄え申す事疑いあるまじき事に御座候」と書かれています。
なお、現在境内に妙見社と刻まれた石灯籠が、文化十一基、文政一基、そして安政二基、合計十四基が現存しています。
    平成四年二月吉日          丹波市町
青石
青石橋の由来

上街道の布留川南流に架せる橋にして大なる青石を以てす。故に其の石の名を得たり、蓋し石棺の蓋である。
青石はその両側に添え石をつけて縦に掛けられていたが、明治40年前後に橋が架けかえられ、不要になった青石は、百メートルばかり南のこの神社境内に移された。
青石には一方の端近くに、二つの穴がある。地元では「馬が踏み抜いたあとだ」などという言い伝えも残っているが、おそらく運搬用の綱を通すための穴だろう。面白いのは、その穴のあけ方で、一方の口径が30糎もあるのに裏側では10糎くらい、ちゅど漏斗形に穴があけられている。こうした穴のあけ方は、古墳時代の石や玉によく見られるものだという。
ここより東へ700メートルに西山古墳、同じく鑑子山古墳があるが、それらの古墳から運び出されたものかはさだかではありません。このような穴のあいた板石は、近くの民家にも庭石として残っているらしい。
遠い昔、小高い墳丘の上で大和国原を見下ろしていたであろう青石は、何百年かの後布留川の流れの上に橋としてその身を横たえ数知れぬ人馬に奉仕した石であります。
現在は当地の貴重な青石として保存しています。
     丹波市町
恵比須神社
恵美須神社
市場跡
神社前の市場跡
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