大麻比古神社 おおあさまひこじんじゃ | |||
旧社格 国幣中社・阿波国一宮・式内名神大社 | |||
所在地 | 徳島県鳴門市大麻町坂東広塚13 | ||
御祭神 | 主祭神 | 大麻比古大神 (おおあさひこのおおかみ) | |
猿田彦大神 (さるたひこのおおかみ) | |||
末社祭神 | 豊受大神 (とようけのおおかみ) | 豊受社 | |
大山祇神 (おおやまつみのかみ) | 山神社 | ||
天照大神 (あまてらすおおみかみ) | 西宮社 | ||
不詳 | 中宮社 | ||
不詳 | 丸山稲荷社 | ||
丸山神 (まるやまのかみ) | 丸山神社 | ||
由 緒 | 神武天皇の御代、天太玉命の御孫 天富命 勅命を奉じて洽く肥沃の地を求め 阿波国に到りまして、麻楮の種を播植し、麻布木綿を制して 殖産興業の基を開き 国利民福を進め給ひ、その守護神として、太祖天太玉命を此の地に斎き祀る。 猿田彦大神は、昔大麻山の峯に鎮まり坐しが後世に至り本社に合わせ祀ると伝えられる。延喜の制名神大社に列し、阿波国一の宮と称え阿波、淡路両国の総産土神として崇め奉る。清和天皇貞観元年従五位上を授け奉り、順次進階して中御門天皇享保四年正一位に進み給ふ。 斯く朝廷の崇敬厚く、又代々の国司領主の尊崇深く、紳田山林を寄進、藩費を以て、社殿の造営を行ひ、年々祭費を奉らる。明治六年国幣中社に列す。 明治十三年国費を以て本殿以下の造営が行われた。現在の祝詞殿、内拝殿、外拝殿は昭和四十五年氏子崇敬者の寄進によって造営せられた。 -大麻比古神社御由緒略記より- | ||
境内入口 祓川橋を渡ると境内です | |||
境内入口の鳥居 とにかく広くて整備された空間です | |||
御神木の大楠 楠 樹齢約千年余り 大麻比古神社の御神木として崇められています。 目通り 8.3m 樹高 22m 平成7.6.12 鳴門市指定 天然記念物 | |||
参道からの社殿 | |||
拝殿 | |||
拝殿の唐破風向拝 | |||
拝殿内部 | |||
拝殿前の狛犬 | |||
拝殿前の狛犬 | |||
本殿 | |||
後方からの本殿 | |||
末社 豊受社 御祭神 豊受大神 | |||
末社 山神社 御祭神 大山祇神 | |||
中宮社 | |||
奥宮峯神社 遥拝所 | |||
奥宮への参道 | |||
心願の鏡池 第一次世界大戦のさなか、中国青島(チンタオ)の戦いで捕虜になったドイツ兵士約千人が、大正六年から九年にかけて、異郷の地坂東俘虜収容所にすごした。 ドイツ兵士たちが、遠い祖国を偲びながら一日も早く故国に帰れることを願いつつ当神域を散策し、記念のため境内に池を掘ってメガネ橋を配し、小谷にドイツ橋をかけた。坂東の地で日々を送った兵士達は地元の人々と国境を越えた暖かい友情で結ばれ今も尚、日独友好の灯をともし続けている。以来七十有余年を経て、この度当神社では神池を拡張し、メガネ橋の周辺を整備して、『心願の鏡池』と命名した。 平成四年三月吉日 阿波国一宮 大麻比古神社社務所 | |||
ドイツ橋 参道ですが現在は通行不可です。 | |||
ドイツ橋横の祠 | |||
丸山神社への参道 | |||
大鳥居 参道入り口。高松自動車道の高架下北側に平成14年12月に建立されたシンボルです。ここから祓川橋まで北に720メートルの参道です。 南へ約350メートルで、四国八十八カ所巡礼の第1番札所 竺和山 一乗院 霊山寺があります。 霊山寺から北へ約1Kmの参道が続く感じです。 | |||
大鳥居横の末社 天神社 | |||
天神社拝殿 | |||
天神社本殿 |