都祁水分神社
つげみくまりじんじゃ

旧社格 県社・式内大社
所在地
奈良県奈良市都祁友田町182

御祭神 主祭神 速秋津彦命 (はやあきつひこのみこと)
天之水分神 (あめのみくまりのかみ)
国之水分神 (くにのみくまりのかみ)
末社祭神 大国魂神 (おおくにたまのかみ) 大国神社
天久比者母智神 (あまのくひざもちのかみ) 水分神社
天水分神 (あめのみくまりのかみ)
由 緒 
天理駅より奈良交通バス室生口大野行友田下車約五分の地の坂窪山に鎮座する。祭神は速秋津彦命・天之水分神で『延喜式』神名帳に式内大社として登載されている。大和高原から流出する木津川上流の布目川や大和川上流の初瀬川の水を司るのが都祁水分の神で『延喜式』祈年祭祝詞に「水分に坐す神等の前に白さく、吉野・宇陀・都祁・葛木と御名は白して」とある都祁水分神である。『続日本後紀』の承和七年(840)に従五位下を『文徳実録』の仁寿二年(852)七月官社に列し、『三代実録』の貞観元年(859)正月正五位下を奉授、同年九月八日風雨を祈って遣使奉幣とある。なお前記『延喜式』祈年祭の条では他の水分社と共に馬一匹を加えられている。
 当社の旧地は約二キロメートル南の小山戸の字カモエ谷に鎮まる都祁山口神社の社地にあったので当社を今も下宮と呼ぶと伝える。応永三十一年(1424)成立で、貞享元年(1684)書写の『水分大明神垂迹記』(久保家文書)に伊勢度会郡の人が御裳濯川の霊水を木壺に入れて大和国境に来た時、霊水が白竜となって飛昇、一つは宇陀水分神として鎮まり、一つは都祁水分として小山戸左高山に鎮まったという。その後天禄二年(971)小山戸への道が狭く道中乗馬に蹴おとされるので友田の坂窪山に遷座したと記している。今も小山戸の山口神社背後の屋根を進んだ急坂の上の大きな磐座を俗に御社尾さんと呼び、水分神が降臨した所との伝承がある。
 例祭は十月二十六日。以前は前日小山戸の上山宮(都祁山口神社境内の仮宮)への神輿渡御があったが、この神輿は康正三年(1457)の造立で県指定重文。本殿は国の重文。
 境内北方に閼伽井・藤井・日賀井の三井があり『万葉集』巻の一の「山辺の御井を見がてり神風の伊勢少女ども相見つるかも」の御井の伝との説がある。
     -奈良県史(神社)より-


参道

手前の石碑奥は鎮守の社

参道

奥へまっすぐ続いています

手水舎

鳥害のために金網を張りめぐらしていた
ここまでしているのをみるのは、初めてで何か異様な感じです。

門柱と社殿

社殿が立ち並び、中央に舞殿があり、盛大な儀式が行われていたことを想像させます。

舞殿と拝殿

広くてよく整備された境内で、例祭のときにもう一度訪れたいところです。

本殿
(国指定重要文化財)

舞殿

舞殿と拝殿

本殿

本殿

境内

手水舎の横からの景観

境内

手水舎の反対側からの景観

山辺の井

境内から数十メートルの場所
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