都祁山口神社
つげやまぐちじんじゃ

旧社格 指定村社・(式内大社)
所在地
奈良県奈良市都祁小山戸町カモエ谷640

御祭神 主祭神 大山衹命 (おおやまつみのみこと)
大国主命 (おおくにぬしのみこと)
末社祭神 天照皇大神 (あめてらすすめらおおかみ) 皇大神宮
恵美須大神 (えびすおおかみ) 蛭子社
威徳神 (いとくのかみ) 八王子社
由 緒 
JR・近鉄天理駅より奈良交通バス室生口大野行で並松下車約二キロメートル、小山戸東方に鎮座する。小山戸明神とも称し、大山祇命を祀る。
 都祁山口神社は大和国十四所山口神社の一つで、天平二年(730)の『大倭国正税帳』(正倉院文書)に「都祁神戸、稲壱佰参拾陸束、租壱拾束壱把、合壱佰肆拾陸束壱把、用肆把祭神残壱佰肆拾弐束壱把」とある。大同元年(806)の『新抄格勅符抄』に「神封一戸大和国」とあり、仁寿二年(852)官社に列したと『文徳実録』に記されている。
 貞観元年(859)正月二十七日従五位下より正五位下に進叙、同年九月八日には風雨の祈願のため遣使奉幣されたと『三代実録』に出ている。『延喜式』神名帳には式内大社として登載され、延喜制の祈年祭には馬一疋を加えられた。中世以降社運衰退して、当社境内にあった都祁水分神社の仮宮の水分上宮社と同一社のように誤られた向きもあった。裏山に都祁水分神社の項で述べたように御社尾と称する巨岩があるが、宝暦四年(1754)の「郷鑑帳」に「高山共御社尾共、神石御座候、元慶三年(879)ニ水分明神白竜ト化シテ此処ニ降給ト申伝候岩ニ御座候」とある。例祭は十月二十五日。
 天理市杣之内町山口に同社名の神社がある。天理駅から奈良交通バスで天理教本部下車約一キロメートルの位置に鎮座する。『大和志』はこの宮を式内大社に比定し、「在山口村 今称水口明神」とある。祭神は大山祇命・久久逎智命・波爾屋須命(明細帳)。 例祭は十月十四日。
     -奈良県史(神社)より-

小山戸東方、小字カモエ谷に鎮座。小山戸明神とも称す。祭神は大山祇命。旧村社。同名の神社が天理市杣之内町にもあり、『延喜式』神名帳の山辺郡「都祁山口神社(大、月次新嘗)」を当社とする説と(大和志料)、杣之内の社とする説がある(大和志・伴信友「神名帳考証」)。都祁山口神社は大和国十四所山口神の一で、都祁の山霊を祀る。天平二年(730)の大倭国正税帳(正倉院文書)に、「都祁神戸」が見えるが、都祁山口神社、同じく式内社の都祁水分神社のいずれをさすか明らかではない。しかし大同元年(806)の牒(新抄格勅符抄)に「都祁山口神一戸」とあり、山口神とみる説がやや有力である。仁寿二年(852)七月官社に列せられ(文徳実録)、天安三年(859)一月二十七日、従五位下より正五位下に進階、同年(貞観元年)九月八日には風雨祈願のために奉幣された(三代実録)。『延喜式』神名帳によると名神大社に列し、月次新嘗の官幣に預っており、祈年祭には馬一匹を加えられた。
【都祁水分神社との関係】
 現都祁村友田にある都祁水分神社の社記によると、伊勢の玉造村丸が御裳裾川の水を分け壺に納めて大和に来た時、霊水が白竜となって一は宇陀郡に飛び、一は小山戸荘高山に飛降した。高山に社殿を造立し都祁水分宮と称したが、この地が隘険であったため、天徳二年(598)に鞆田(友田)に移し、小山戸の社を上宮、鞆田の社を下社と称した。祭礼には下社から上宮への神輿渡御が行われたという。『大和志料』は上宮は宝暦四年(1754)の郷鑑帳にみえる当社境内の「仮屋一社」をさすとし、中世以降、当社が衰退して境内の仮屋が主となった結果、当社と水分上宮社が同一のもののようにされたとみる。裏山にはゴシャオ(御社尾)とよばれる巨岩があり、全景郷鑑帳に「高山共御社尾共、神石御座候、元慶三年ニ水分明神白竜ト化シテ此所ニ降給ト申し伝え候磐ニ御座候」と記す。
【神主職】
 当社神主職は神八井耳命の子孫都祁直(『古事記』神武天皇段)の末裔と伝え、貞観年間より藤原氏を称した。以来父子相継ぎ、小山戸殿とも称され、暦応年中(1338-42)伊勢の北畠氏に属して北と改姓、興福寺大乗院領小山戸荘の下司職をも兼帯したという。造営・祭祀費は鞆田の都祁水分神社と同じく東山中七ヶ荘に賦課されたが、次第に水分社が優遇されるようになった。
【近世期の推移】
 戦国の争乱によって衰退し、北吉品記(山辺郡誌)によれば永禄―天正(1558-92)の頃には礎石を残すのみとなり、北左京之進が寛永年中(1624-44)に郷民を勤めて社殿を造立した。寛文元年(1661)に改造、現社殿は明治十二年(1879)の造立、拝殿は貞享四年(1687)の建造である。社蔵の元禄10年(1697)の懸札に祭神は都介水分神・天之水分神・国水分神とされている。また宝暦の郷鑑帳にも『豊受大神宮]とみえるなど、水分神社に従属し伊勢神宮に倣って水分社を内宮、当社を外宮とする信仰は江戸期まで根強く残っていた。
     -寺院神社大辞典(大和・紀伊)より-


神社入口

道の横に隠れるように鳥居が見える

鳥居

正面から長い参道が見え、拝殿らしきものが奥のほうに見える。

割り拝殿越しの本殿

境内からの拝殿

広場横の鏡池

鏡池と本殿

本殿

御社尾(ごしゃお)


本殿横に参拝道があり、10分位登った所に鎮座、御神体は、巨岩
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