熊野本宮大社
くまのほんぐうたいしゃ | |||
旧社格 官幣大社・式内名神大社 世界文化遺産 | |||
所在地 | 和歌山県田辺市本宮町本宮 | ||
御祭神 | 本社鎮座上四社 | 第一殿 | 熊野牟須美神 (くまのふすみのかみ)(伊弉那美大神) |
事解之男神 (ことさかのおのかみ) | |||
第二殿 | 速玉之男神 (はやたまおのかみ) | ||
伊弉那岐大神 (いざなぎのおおかみ) | |||
第三殿 | 家津美御子大神 (けつみみこのおおかみ)(素盞鳴尊) | ||
本宮大社の主祭神 | |||
第四殿 | 天照大神 (あまてらすおおみかみ) | ||
大斎原鎮座 (旧社地) |
中四社 (左祠) |
忍穂耳尊 (おしほみみのみこと) | |
瓊々杵尊 (ににぎのみこと) | |||
彦穂穂出見尊 (ひこほほでみのみこと) | |||
鷦鷯草不合尊 (うがやふきあえずのみこと) | |||
下四社 (左祠) |
軻遇突智命 (かぐつちのみこと) | ||
埴山姫命 (はにやまひめのみこと) | |||
弥都波能売命 (やとはめのみこと) | |||
稚産霊命 (わかむすびのみこと) | |||
旧境内摂・末社 (右祠) |
八咫烏神社・音無天神社 | ||
高倉下神社・海神社 | |||
由 緒 | 御由緒と御紳徳 紀の国 音無川のほとりに、熊野本宮大社(旧官幣大社熊野坐神社)は熊野三山(本宮、新宮、那智)の首座として熊野信仰の総本宮と仰がれて居ります。 御祭神は熊野坐大神と申し上げ熊野に鎮まります大神という広大な意味でありますて、熊野国は現在和歌山県、三重県の両県にまたがり東、西、南、北牟婁郡の四郡を言うのであります。本社には十四柱の神が御鎮座(おしずまり)になりますが、主祭神は家津御子大神(熊野加武呂乃命)でありまして、大神の御事蹟は、古史に依れば、はじめ海原を治められましたが、出雲の国島根の簸の川上に降り、八岐大蛇を退治され、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を得られ、天照大神に献上され、国土の経営はもとより、遠く大陸をも治められたとあります。紀伊続風土記に「大神大御身の御毛を抜いて種々の木を生じ給い、其の八十木種の播生れる山を熊野とも木野とも言えるより、熊野奇霊御木野命(木を生育化育される意味にて家津御子大神と同意)と称え奉るべし」とあります。植林を全国に奨め、木の国の名、熊野の称はここよりおこったのであります。植林の目的に就いては、主に建築材、特に造船の技術を教えられ、貿易を開かれたので、海外発展の思想の根源が古代にあったわけであります。『音無川の水上に立たせ給うは 舟玉十二社大明神』と唄われ、舟玉大神と仰がれるわけもここにあるのであります。誓約(ちかい)の神として、天照大神と天安河を挟み誓約をされ、古事記に建速須佐之男命天照大神白干我心清明故。我所生之子得手弱女。因之言者 自我勝云而於勝佐備。とありまして、正邪を正すとして崇められ、後世烏文字を用いた熊野牛王紳符が誓約ごとに広く用いられ、これが有名な起請文であります。 本地垂蹟説が行われてから家津御子大神を阿弥陀如来として熊野大権現と唱え、現世、後世二世の守護神として夫婦結の信仰が厚く、死人も白衣をつけて第一に熊野詣でをすると云われ、熊野縁起に「大日本六十余州衆生我許参詣者除貧窮 与 富貴現世案隠後生生善所 之証誠阿弥陀如来熊野大権現也」と神言にあり富貴神寿命神として厚い信仰がある。奈良朝の初期から熊野権現として信仰され、本社は上、中、下社の三社よりなり、故に熊野三所権現と言われ、十二殿に御祭神が鎮座ましたところから熊野十二社権現とも仰がれました。熊野大神の紳使は、八咫烏として有名ですが、神武天皇東征の砌、熊野烏が大和へ無事先導した縁起から交通の守護神として熱烈な信仰があり、成務天皇の御代饒速日命の五世孫大阿斗足尼(おおあどのそこね)、社人温泉を発見以後、斎屋(湯屋)を建て熊野本宮の潔斎場となる之が湯峰温泉であり、全国の温泉場には湯屋権現として温泉守護神とあがめられています。 古より男子と生れたものは、先ず熊野へ参詣して初めて一丈夫となると言われ、出世、家門繁栄の守護神として尊崇されている。有名な平清盛もその一人として、平家物語に「平家かように繁昌せられけるも、熊野権現の御利生とぞ聞こえし、其故は古へ清盛公、いまだ安芸守たりし時、伊勢ノ海より舟にて熊野へまいられけるに大きなる鱸の舟におど入りたりけるを、先達申けるは「是は権現の御利生なり。いそぎまいるべし。」と申しければ清盛のまいタけるは「昔周の武王の舟にこそ白魚は躍り入りたるなれ、此れ吉事なり。」とて、さばかり十戒をたちもちて、精進潔斎の道なれども、調味して家の子、侍どもにくわせられけり。其故にや吉事のみうちつづいて太政大臣まできわめ給えり。子孫の官途も竜の雲に上るよりは楢すみやかなり。九代の先縦をこえ給うこそ目出度けれ。」と物語って居ります。第一殿に鎮まります夫須美大神(伊邪那美大神)は、家津御子大神の母神にて、伊邪那岐大神と俱に国土を修理固成し夫婦の道を興して神人万物を育成し、人倫の大本を誨へて郡品の祖として崇められて居ります。 第二殿に鎮まります速玉大神、伊邪那岐大神、黄泉の国より帰ります時、族負けじと誓い給うに生まれました神にて、生成発達を司る神と崇敬されている。その他の神々も縁由あり鎮まりますことは云うまでもないが、最初は家津御子大神、夫須美大神、速玉大神、三紳であると伝えられています。 -参拝の栞より- | ||
熊野本宮大社公式ホームページ | |||
神社入口 | |||
参道 | |||
功霊社 | |||
祓戸社 参道の途中にありました | |||
神門 ここから中は写真撮影禁止と掲示してあります。 | |||
第三殿・第四殿 | |||
第一殿・第二殿 | |||
本殿 | |||
拝殿 | |||
大斎原旧御本宮絵図 | |||
大斎原への参道入口に石碑 国道168号線からの脇道でわかりにくかった。 | |||
大鳥居 | |||
世界遺産の記念碑 | |||
参道 | |||
公園化した旧社地 飲食は禁止だそうですが、周囲を見渡しても芝生公園のような感じがします。 | |||
石の祠 ここに中四社・下四社と旧境内摂社・末社が祀られている様です。 | |||
一遍上人神勅名号碑 |