伊太祁曽神社 いたきそじんじゃ | |||
旧社格 官幣中社・式内名神大社 紀伊国一之宮 | |||
所在地 | 和歌山県和歌山市伊太祈曽558 |
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御祭神 | 主祭神 | 五十猛命 (いたけるのみこと) | 本社 (大屋毘古神とも称する) |
大屋津比賣命 (おおやつひめのみこと) | 左脇殿 | ||
都麻津比売命 (つまつひめのみこと) | 右脇殿 | ||
末社祭神 | 蛭子命 (ひるこのみこと) | 蛭子神社 | |
素戔嗚尊 (すさのおのみこと) | 祇園神社 | ||
天照皇大神 (あまてらすすめおおかみ) | |||
埴安比売命 (はにやすひめのみこと) | |||
櫛磐間戸命 (くしいわまとのみこと) | 櫛磐間戸神社 | ||
豊磐間戸命 (とよいわまとのみこと) | |||
彌都波能売神 (みづはのめのかみ) | 御井社 | ||
御井神 (みいのかみ) | |||
天照皇大神 (あまてらすすめおおかみ) | 丹生神社 | ||
丹生津彦命 (にうつひこのみこと) | |||
丹生津姫命 (にうつひめのみこと) | |||
五十猛命 (いたけるのみこと) | 三生神社 | ||
大屋津姫命 (おおやつひめのみこと) | |||
抓津姫命 (つまつひめのみこと) | |||
由 緒 | 御鎮座の由来と沿革 当神社の御鎮座について具体的な年号の初見は「続日本紀」の文武天皇大宝二年(西暦702)です。神代のことはよくわかりませんが、当神社はこの地に鎮まります以前には、日前神宮・国懸神宮(通称日前宮)の社地にお祀りされていたようです。日前宮の御鎮座が垂仁天皇十六年(西暦紀元前14)と伝えられていますので、そのころ今の秋月(日前宮鎮座地)より、この山東(現伊太祈曽)に遷座せられたようです。しかし、その地は現在の社殿のある場所ではなく、南東に500メートルほど離れた『亥の森』という所でした。今も田んぼの中にこんもりした森が残っており、いかにも神奈備の様相を呈しています。毎年旧暦十月初亥日に「亥の森祭」が行われています。 延喜式神名帳に所載の神社(式内社)で、明神大・月次・新嘗・相嘗めに預かると記載されており、平安期には朝廷の崇敬が篤い大社であったことがわかります。 紀伊国(木の国)の一の宮として朝野の崇敬を受け、明治十八年国幣中社に列格し、大正七年に官幣中社に昇格しています。昭和九年の台風により社殿が甚だしく破損しましたが、卑しくもご内帑金の御下賜により内務省直轄の工事で復興に着手、昭和十二年三月に竣工しました。以後、屋根の葺替工事・常盤殿の改修・ときわ山造園・神池の改修等の境内整備を経て今日の神社があります。 -参拝の栞より- |
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一の鳥居 和歌山電鉄貴志川線の伊太祈曽駅下車すぐ南側です | |||
境内の鏡池 | |||
二の鳥居 正面に拝殿がみえます | |||
境内 | |||
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右 脇宮 祭神 都麻津比売命 | |||
本社 祭神 五十猛命 | |||
左 脇宮 祭神 大屋津比賣命 | |||
右 脇殿 祭神 都麻津比売命 | |||
本殿 祭神 五十猛命 | |||
左 脇殿 祭神 大屋津比賣命 | |||
社殿の外観 | |||
蛭子神社 | |||
奉納されている龍神 チェーンソーによる作品 |