熊野那智大社
くまのなちたいしゃ

旧社格 官幣中社
世界文化遺産
所在地
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山一番地

御祭神 第一殿 滝宮 大己貴命(おおなむちのみこと)
第二殿 証誠殿 家都御子大神(素盞鳴尊)(けつみこのおおかみ)
第三殿 中御前 御子速玉大神(伊弉諾尊)(みこはやたまのおおかみ)
第四殿 西御前 熊野夫須美大神(伊弉冉尊)(くまのふすみのおおかみ)
第五殿 若宮 天照大神(あまてらすおおみかみ)
第六殿 八社殿 忍穂耳尊(おしほみみのみこと) 禅師宮
瓊々杵尊(ににぎのみこと) 聖宮
彦火火出見尊(ひこほでみのみこと) 児宮
鷦鷯草不合尊(うがやふきあえずのみこと) 子守宮
国狭槌尊(くにのさづちのみこと) 一万宮
富斟淳尊(とみくむぬのみこと) 十万宮
泥土煮尊(うじにのみこと) 勧証十五所
大戸道尊(おおとのじのみこと) 飛行夜叉
面足尊(おもたるのみこと) 米持金剛
由 緒
熊野那智大社社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸”にしきうら”に御上陸された時、那智の山に光が輝くのを見て、この大滝をさぐり当てられ、神としておまつりになって、その御守護のもとに、八咫烏の導きによって無事大和へお入りになった」と記録されております。  千古の老木におおわれた原生林のあいだに光り輝く「那智の大滝」の神秘性は今も昔も変わることのない姿だと思いますが、その御姿を神としてあがめられたお気持ちは、現代に生きる我々にもまた通じるのでありまして、俳人・高浜虚子は「神にませば まことうるわし 那智の滝」と詠んでいます。  命の根源である水が豊富にあふれ落ちる「那智大滝」を、この地方に住む原住民の人々も神武天皇御東征以前からすでに神としてうやまっていたとも伝えられていますが、いずれにいたしましても古代からこの大滝を「神」としてあがめ、そこに、国づくりの神である「大己貴命」(大国主命)をまつり、また、親神様である「夫須美神」(伊弉冉尊)をおまつりしていたのであります。  現在は、大滝前の小さな広場に自然石が置かれその上に金の幣を立てた祭壇が設けられていますが、ここがかってお滝拝所の在った所であります。やがて仏教が伝来し、役小角(えんのおずぬ)を始祖とする修験道がおこり、古来の神々と仏とを併せてまつる、いわゆる神仏習合の信仰が行われるようになりました。そして大滝の御神体である『大己貴命』の化身として「千手観音」をおまつりしたことから、お滝を「飛瀧権現」とよぶようになり、権現信仰の霊場として次第に名が高まり、全国から訪れる人が多くなってきたのであります。「お滝拝所」と並んで「飛瀧権現本地堂」(千手観音堂)も設けられました。このようにみてまいりますと、「熊野那智大社」の根源は「那智大滝」を神としてあがめたことにあるのですが、その社殿を、お滝からほど近く、しかも見晴らしの良い現在の社地にお移ししたのは仁徳天皇五年(317年)と伝えられています。この時、大滝を「別宮飛瀧大神」とし、新しい社殿には「夫須美大神」を中心に、国造りにご縁の深い神々をおまつりしました。  また、新宮に「速玉神」(伊弉諾尊)、本宮に「家都御子神」(素盞鳴尊)がまつられるようになって、当社を含めて「熊野三山」と称するようになりました。そして、権現信仰の風潮が高まるとともに「熊野三所権現」と称され、ついには『蟻の熊野詣で』といわれる程に全国から沢山の人々が熊野を目指すことになるのですが、中でも、皇室の尊崇厚く、延喜七年(907年)十月、宇多上皇の御幸をはじめとして、後白河法皇は三十四回、後鳥羽上皇は三十一回もご参詣の旅を重ねられ、また、花山法皇は一千日(三年間)の滝籠りをなされたと記録されております。その後、明治維新となって『神仏分離令』が出され、それまでの「熊野那智権現」は「熊野那智神社(後、熊野那智大社)」となり、それに伴って大滝を「別宮飛瀧神社」と称するようになったのであります。  なお「熊野」という地名は「隅(くま)の処」という語源から発しているといわれていますが、だとすれば、ここは奥深い処、神秘の漂う処ということになります。また、「クマ」は「カミ」と同じ語で、「神の野」に通じる地名ということにもなります。その「神の里」に詣で、漂う霊気にひたり、神々の恵みを得ようとして、古代から多くの人々が熊野へ、那智山へと旅を重ねているのであります。
     -参拝の栞より-

熊野那智大社公式ホームページ


熊野那智大社の参道

ここから長い階段が始まります。

一の鳥居

鳥居の手前に祓戸社が鎮座していて、青岸渡寺には右側の階段をもぼる

二の鳥居

やっと登りきるこの上が熊野那智大社

境内

参道が真っすぐに拝殿へ

手前に手水舎

非常に鮮やかで綺麗です。

拝殿

この奥に本殿が

御縣彦社と第六殿

第五殿(若宮)の屋根

大楠

平重盛の手植えと伝えられている。樹齢約850年の楠木

熊野那智大社から青岸渡寺へ


玉垣の間からのぞき見た本殿

本殿

本殿

右側から第一殿・第二殿

青岸渡寺側の門


この門を境に鮮やかな社殿と荘厳な社殿の寺院に分かれる不思議な空間です。

青岸渡寺からの社殿
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