伊射奈伎神社
いざなぎじんじゃ

旧社格 指定村社・式内名神大社
所在地
奈良県天理市柳本町字天神山1898

御祭神 主祭神 伊射奈伎命 (いざなぎのみこと)
菅原道真公 (すがわらみちざねこう)
末社祭神 宇迦之御魂命 (うかのみたまのみこと) 稲荷神社
火産霊神 (ほむすびのかみ) 秋葉神社
市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと) 厳島神社
事代主命 (ことしろぬしのみこと) 事代主神社
織田信長 (おだのぶなが) 建勲神社
素戔嗚命 (すさのおのみこと) 八坂神社
大己貴命 (おおなむちのみこと) 琴平神社
大山咋神 (おおやまくいのかみ) 大山咋神社
天児屋根命 (あめのこやねのみこと) 春日神社
御由緒
古代政治、経済の中心であった大和平野の東部、天神山古墳を境内として鎮まる「伊弉諾命」「伊弉冉命」の由緒は、社記が天文年間に焼失したために創建年代、規模等は詳しくはないが崇神天皇の御代に御崇祭されたものであります。
第五六代清和天皇の貞勧元年(八五九年平安時代)に神位にご増進され、第六○代醍醐天皇の御世(九○一~一四年藤原時代)の「延喜式神名帳」に列せられ「官幣に預かり賜う」とあります。
その後鎌倉、南北朝、室町時代にかけての国内の兵乱によって神社は衰退したが、寛永一八年(一六四一年)に二代目柳本藩主織田修理正長種公が三町程東(柳本町山田北側の台地)からこの地に移され本殿を造営、産土神として人々から崇敬されてきました。
明治四年五月」太政官布告に基づき柳本藩社となりその後県社から区画改正によって柳本村社となりました。
崇神天皇の御代の崇祭は、伊勢神宮と殆ど同時期に創建された最も古い神社であり、日本武尊が東国征伐の出陣に祭し、弟橘比売命を妃に迎えて間もない命は我が身を按じ当神社で戦勝祈願をして伊勢へ出立したことも、当初から大和朝廷の崇敬が厚かったことを物語っています。
全て會ての柳本町大字、小字に祭られていました神々は現在境内の各所に祭られています。
     -境内の案内板より-
 

社殿

国道に面した鳥居

神社からは裏参道になります

国道に面した案内板

本殿

手前が拝殿

拝殿

境内社

国道と反対側にある鳥居
拝殿が正面に見えます。

社号標

神社の西訳300メートルで旧上ツ道との交差する地点です
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