大神神社
おおみわじんじゃ

旧社格 官幣大社・式内名神大社・二十二社・大和国一宮
所在地
奈良県桜井市三輪1422

御祭神 主祭神 大物主大神 (おおものぬしのおおかみ)
相祭神 大己貴神 (おおなむちのかみ)
少彦名神 (すくなひこなのかみ)
摂社・末社 狭井坐大神荒魂神社
檜原神社
大直禰子神社
久延彦神社
大神神社摂社・末社
由 緒
当神社の神体山三輪山に鎮まり坐す御祭神大物主大神(おおものぬしおおかみ)(大国様)の御名で広く知られている国土開拓の神様であり、詳しくは倭大物主櫛瓺魂命と申し上げます。古典の伝えによれば、神代の昔少彦名命と協力してこの国土を拓き、農、工、商業、すべての産業開発、方除、治病、禁厭、造酒、製薬、交通、航海、縁結び等、世の中の幸福を増進することを計られた人間生活の守護神であらせられます。
後にこの神様の御思召しにより、その御魂(幸魂・奇魂)を三輪山(三室の神奈備)に永くお留になり、それ以来、今日まで三輪山全体を神体山として奉斎してきました。それ故に、本殿を持たない、上代の信仰の形をそのままに今に伝えている我国最古の神社であります。
この三輪の地は古く大和の文化発祥の地で、政治・経済・文化の中心地でもありました。三輪山麓を東西に流れる初瀬川の水路の終点に、日本最古の市場であります海柘榴市(つばいち)が八十のちまたとして開け、又、南北に走る日本最古の産業道路である山辺の道と共にこの三輪の地は交通の要所ともなったのであります。
第十代崇神天皇の御代には、文化も全盛を極め、更に中古からは大和国の一之宮となり、二十二社の一つとして民衆の厚い信仰を集めてきました。又中世に於いては「三輪流神道」という特殊な宗教哲学が生まれ、上古以来の信仰に一つの組織と哲学とを添えることになりました。
     -三輪明神縁起より-



祈祷殿

左側に儀式殿、右に参集殿があります

拝殿

寛文4年(1664)徳川4代将軍家綱の造営になり、西向きに建ちます。桁行9間(21メートル)、梁間4間(8メートル)、正面は三間一面の大向拝がつき、江戸時代を代表する堂々とした建物で、大正10年に国の重要文化財に指定

参道
(二の鳥居から拝殿へ)

階段を上ると拝殿

階段を上ったところ

三輪山と大鳥居

三輪山は、奈良盆地をめぐる青垣山の中でもひときわ形の整った円錐形の山であります。古来より神の鎮まりますお山として、『古事記』や『日本書紀』には、御諸山(みもろやま)、美和山(みわやま)、三諸岳(みもろのおか)と記され、大物主神(おおものぬしのかみ)の鎮まりますお山、神体山として信仰され、三諸の神奈備(みもろのかむなび)と称されています。

衣掛杉(ころもがけのすぎ)

謡曲「三輪」にでてくる玄賓僧都(げんぴんそうず)が女人に与えた衣が、掛かっていた杉と伝えられています。女人とは三輪大神であり、このことに関係して、『古今和歌集』には、「我庵(わがいほ)は 三輪の山本 恋しくば とぶらいきませ 杉立てる門」という歌があり、三輪明神の神詠とされています。現在、覆屋が作られて、周囲10メートルにおよぶ巨大な古株が残されています
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