大和神社
おおやまとじんじゃ

旧社格 官幣大社・式内名神大社・二十二社
所在地
奈良県天理市新泉町306番地橘森

御祭神 主祭神 日本大国魂大神 (やまとおおくにたまのおおかみ) 中央殿 (大地主大神)
八千矛大神 (やちほこのおおかみ) 右殿
御年大神 (みとしのおおかみ) 左殿
摂社祭神 雨師大神 (あめしのおおかみ) 高龗神社
猿田彦神 (さるたひこのかみ) 増御子神社
天鈿女命 (あめのうずめのみこと)
市磯長尾市命 (いちきながおいちのみこと)
朝日豊明姫神 (あさひとよあきひめのかみ) 朝日神社
渟名城入姫尊 (うきなきいりひめのみこと) 渟名城入姫神社
末社祭神 事代主神 (ことしろぬしのかみ) 事代主神社
市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと) 厳島神社
大己貴神 (おおなむちのかみ) 歯定神社
少名彦名神 (すくなひこなのかみ)
例 祭 四月一日(通称チャンチャン祭)
御由緒
当神社の主神は、日本の全国土の大地主大神に坐します。
上古伊勢神宮に坐す天照大神と共に宮中にて親祭され給ひしが、第十代崇神天皇は御神威を畏み給ひ同六年(二千数十年前)当神社の主神を市磯邑(大和郷)に遷御遊ばされ、皇女渟名城入姫(ぬなきいりひめ)を斎王として祭らしめ給う。
延喜式に大社大和坐大国魂神社三座とある。
斯様に尊い御由緒は類まれなところで御神威は伊勢神宮に次ぎ、御神封もまた大和を始め尾張、武蔵、常陸、安芸の六カ国に於いて三百二十七戸に及び境内も六十四ヘクタールの広大なり。と古記録に見ゆる。

高龗神社
由 緒

高龗神社 祈雨神祭について 全国総本社
大和神社の摂社である。祭神は雨師大神即ち水神様で、崇神天皇のとき渟名城入姫命をして穂積長柄岬(現親泉星山)に創祀される。
古来六月一日、十年に一度の大祭には、和歌山・吉野・宇陀その他近在邑々から千人余りも参拝者の列が続いたとある。先頭に丹生川上神社、中・下社が金御幣を持ち後尾は末社の狭井神社が勤めた。茅原上つ道を経て箸墓裾で休憩。大倭柳本邑に入り長岡岬、大市坐皇女渟名城入姫斎持御前の井戸で祓い清める。神職は輿と共に神橋を渡り大和神社に入る。一般の人達は宿から一番鶏が鳴くと倭市磯池に体を清め笠縫邑から神社へ向かう。
社は古代伊勢神宮と同じ建築様式で江戸時代の建立になる。
昭和二十五年の台風により被害を受け半壊する。        境内の案内板より

増御子神社
由 緒

祭神 猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
天鈿女命(あめのうずめのみこと)
猿田彦大神は、ものごとの一番最初にご出現になり、万事最もよい方えお導きになる大神です。
古事記・日本書紀などにも、わが国のはじめ天孫瓊瓊杵尊(ににぎのもこと)をこの国土へご啓行になられたと伝えています。
このご神徳によって、全国各地のご祭礼に際しては一番先頭に大神を仰いで渡御祭にも先駆する天狗が猿田彦大神です。「さき立ちの神」「さきみちの神」「ひらきの神」として、氏子・崇敬者の将来の繁栄と開運成就をお授けくださいます。
学業成就・家業繁栄・交通安全・開業・移転災除等、諸願成就にご神徳顕著です。
境内の案内板より


正面からの社殿

拝殿

神社境内

拝殿前

神社参道

一の鳥居

二の鳥居

拝殿

御正殿

宮中三殿式の特異な御社殿

拝殿から見た御正殿

御正殿

 高龗神社

祈雨神祭について 全国総本社
天候・産業を司り水利を授け給ります。
祈雨、祈晴、暴風除けを祈る賽者多い。
例祭    六月一日

高龗神社本殿

増御子神社

猿田彦神、天鈿女命、市磯長尾市命を祀る。(知恵の神) 受験合格、就職、産業開発を祈る崇敬者が多い。

厳島神社(左側)

航海の神・海の守護神



事代主神社(右側)

福の神とする恵比寿様

祖霊社

戦艦大和の英霊を祀っている
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