丹生川上神社(上社)
にうかわかみじんじゃ(かみしゃ)

旧社格 官幣大社・式内名神大社・二十二社
所在地
奈良県吉野郡川上村大字迫869-1

御祭神 主祭神 高龗大神(龍神) (たかおかみのおおかみ)
相殿神 大山祇神 (おおやまつみのかみ)
大雷神 (おおいかずちのかみ)
末社祭神 弥津波能売神 (みずはのめのかみ) 水神社
大国主神 (おおくにぬしのかみ) 恵比須神社
事代主神 (ことしろぬしのかみ)
大山祇神 (おおやまつみのかみ) 山ノ神社
火武須毘神 (ほむすひのかみ) 愛宕社
由 緒
御由緒
「日本書紀」神武天皇即位前紀戌午年九月甲子の段に「丹生川上に陟り、天地地祇を祀る」との記述があることから、この土地が上古より祭祀を行う重要な聖域であったことがうかがい知れる。
奈良時代から室町時代にかけ祇雨・止雨の神として朝廷からの御崇敬がことのほか篤く、天武天皇四年(675)に御社殿が建てられて以来、「延喜式」(927)には官幣明神大社という特に霊験あらたかな神社として、祈年、月次、新嘗の祭りに際し朝廷より奉幣があり、また、祇雨・止雨をはじめ天変地異や国家、朝廷の大事に際して行われる臨時際を行う神社にも列せられていた。
平安時代以降は、朝廷における最高の社格に属する「二十二社」の一つにも数えられていることからも、国家にとっていかに重要な神社であったかが理解できる。しかし、応仁の乱(1467)の後は奉幣も中止され、いつしか、神社の所在すら不明となってしまった。
幕末から明治・大正期の所在地考証によって、現在は上社、中社、下社と称せられている異なる三社が候補に挙げられ、現在に至っている。
この里は丹生の川上ほど近し
祈らば晴れよ五月雨の空
(後醍醐天皇が吉野山に在らせられた時、当神社によせて詠まれた有名な御製です。)
     神社の「しおり」より


一の鳥居

社殿

社殿

社殿

境内の石灯籠

末社入口

境内社

境内社

境内社

紳馬

旧社地

遥拝所からの旧社地大滝ダムが貯水を始めると見えなくなってしまう旧社地
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