丹生川上神社(中社)
にうかわかみじんじゃ(なかしゃ)

旧社格 官幣大社・式内名神大社・二十二社
鎮座置
奈良県吉野郡東吉野村大字小九六八

御祭神 主祭神 罔象女神 (みつはのめのかみ)(水神)
相祭神 伊邪那岐命 (いざなぎのみこと) 中央殿
伊邪那美命 (いざなみのみこと)
応神天皇 (おうじんてんのう) 東殿
天照皇大神 (あまてらすすめらおおかみ)
八意思兼命 (やごころおもいかねのみこと)
開化天皇 (かいかてんのう) 西殿
事代主命 (ことしろぬしのみこと)
上筒男命 (うわつつおのみこと)
菅原道真 (すがわらみちざね)
大国主命 (おおくにぬしのみこと)
綿津見神 (わたつみのかみ)
摂社祭神 弥都波能売命 (みずはめのみこと) 丹生神社
罔象女神 (みつはのめのかみ)
末社祭神 徳川家康 (とくがわいえやす) 東照宮
五十猛命 (いそたけるのみこと) 木霊神社
例 祭 十月十六日(小川祭り)
主なる
年中行事
水神祭 六月四日
献燈際 八月十六日・十七日・十八日
由 緒
神徳
岡象女神は、伊邪奈伎、伊邪奈美の神の御子神で、伊勢神宮の天照大神とは御姉妹であらせられる。
伊邪奈伎、伊邪奈美の神は、国を造り成された神であり、あらゆる御神徳を具えられているが、この御神徳の中、
特に水に関する一切の神徳を受けられたのが、岡象女神であって、古来から皇室を始め、全国を挙げて御尊崇申し上げている。
水は五穀をはじめ万物の生成化育の根源で太陽と共に我々の日常生活に一瞬も欠くことの出来ないもので、その御神徳の広大無辺なること云うを侔たない。

由緒及歴世の崇敬
当社は今を去ること一千三百余年前、天武天皇白鳳四年「人声ノ聞エザル深山吉野丹生川上ニ我ガ宮柱ヲ建テテ敬祠セバ、天下のタメニ甘雨ヲ降ラシ霜雨を止メン」との御神教によって斎祠せられた。
そしてこの年から五穀の豊穣を祈願する祈年祭が行われたことを併せ考えると、五穀の生命を司る雨水の神を祀る当神社の御鎮座は、愈々その意義が深い。
従って歴代朝廷の御崇敬は篤く、国家に大事のある時は必ず祈願を籠められ、天皇、皇后の行幸啓五十余度、淳仁天皇の天平宝字七年五月の奉幣雨乞、光仁天皇宝亀六年九月の奉幣祇晴を始めとして、
応仁乱世にいたる迄、歴世神祀官御差遺の上、奉幣祈願されたことは実に九十六回に及び、奉幣に際しては特に祇雨の黒毛馬を止雨には白毛馬を奉られるのが常例で、誠に鄭重を極めた。
後醍醐天皇御製
この里は丹生の川上ほど近し 祈らば晴れよ五月雨の空

丹生津姫命御巡幸
古祝詞「天野吉門」の伝えによれば、神代、紀伊国伊都郡奄田村石口に天降られた丹生津姫命は吉野川(紀ノ川)沿いにこの丹生川上の地に上がられ「国かかし給ひ」(国内の水脈、水流、池、田地等を眺める謂)米作りと云う生産の安定を図りつつ十市、高市、宇賀郡、紀州の幾箇所かを経て、現在の和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野丹生都比売神社に御鎮座された。
丹生津姫のニフはニハ、ニヒ、ニヘニホと共に新穀(稲)の意と考えられ、米作り(新嘗)の神が当地を巡幸の出発点とされたことは、水の信仰との関わりに於いて意義が深く、丹生川上の丹生も葢しこの神名に由来するものであろう。
更に神武天皇東征の砌、丹生津姫命の巡幸路を進まれ、特にこの地に於いて御観察の顕斎、宇気比がなされたこととも強く関連し、後の吉野離宮の濫觴となる。
     -神社「しおり」より-


社標と鳥居

入口から見た境内

拝殿屋根の修復工事中だったのが残念です

境内

御神木と本殿

拝殿の絵馬

拝殿の前の石灯篭

御神木と本殿

本殿への屋根付き階段

本殿

吉野離宮跡の石碑

吉野離宮跡

参道

境内社

木霊神社

境内社

木霊神社

境内社

夢淵

摂社 丹生神社

丹生神社 本殿

丹生神社本殿

重要文化財

神武天皇聖蹟

神武天皇聖蹟
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