丹生川上神社(下社)
にうかわかみじんじゃ(しもしゃ)

旧社格 官幣大社・式内名神大社・二十二社
所在地
奈良県吉野郡下市町長谷1-1

御祭神 主祭神 闇龗神 (くらおかみのかみ)
末社祭神 応神天皇 (おうじんてんのう) 八幡神社
大山祇命 (おおやまつみのみこと) 大山祇神社
稲荷大神 (いなりおおかみ) 稲荷神社
川上六家の祖霊 租霊社
由 緒
由緒沿革の概要
御祭神は、いざなぎ、いざなみの大神のみ子神であらせられ、天武天皇の白鳳四年に「人聲ノ聞エザル深山ニ吾ガ宮柱ヲ立テテ敬祠セバ天下ノタメニ甘雨ヲ降ラシ霜雨ヲ止メム」との御神誨に因り創立された古社であるから、歴朝の御尊崇極めて篤く、續日本紀に「天平宝字七年五月庚午丹生川上ノ神ニ幣帛(へいはく)ノ外特ニ黒毛ノ馬ヲ奉ル」と見え、この後は、祈雨には黒馬を、祈晴には白馬を幣帛に添えて献ずることを恒例と遊ばされて居り、後醍醐天皇の延喜の制では明神(ミョウジン)大社として安上の官幣に預かり、ついで二十二社の一(全国の大社中の特別尊貴な神社)に列し給い明治の新政に及ぶ。
また別に神階正一位に進ませられ、爾後たびたびの奉幣をお続けになり、孝明天皇は安政元年に「外患惧服、国家清平」の御祈禱を仰せつけられ(御綸旨現在)文久二年には畏きも銀二十枚、米三十石を御下賜相成り(御沙汰書現在)続いて明治天皇もその四年に官幣大社御治定仰せ出だされ、初代大宮司に松岡尚嘉を小宮司に江藤正澄を補佐せられて以来昭和二十一年までお使いとして高官を参向せしめて、大祭、臨時大祭を厳重に斎行されて来たが、その後神社制度の変革により宗教法人の神社となって今日に及んでいる。
     「しおり」より


入口

境内からの拝殿

拝殿

拝殿

横の御神水

拝殿から本殿への長い階段

珍しい木

「多羅葉」葉の厚みがあり、少しぐらいの文字が書けるとのことで、現在の「はがき」の名前の元になったとのことです。
この木は、インドから持ち帰ったようです。

境内

烏骨鶏(ウコッケイ)

天然記念物の表示があります。境内の六角形の鶏舎。

境内の歌碑


道の反対側に祭られている神社 
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