天河大辯財天社
てんかわだいべんざいてんしゃ 

大峰本宮
旧社格 郷社
所在地
奈良県吉野郡天川村坪内107 (坪内字琵琶山107)

御祭神 主祭神 市杵嶋姫命 (いちきしまひめのみこと)
熊野坐大神 (くまのいますおおかみ)
吉野坐大神 (よしのいますおおかみ)
末社祭神龍神大神 (りゅうじんおおかみ)
大将軍大神 (だいしょうぐんおおかみ)(森本神社)
大日霊貴大神 (おおひるめむちのおおかみ)
天神大神 (てんじんおおかみ)
大地主大神 (おおどころぬしおおかみ)
稲荷神社
由 緒
坪内集落中央の森に鎮座する旧郷社で、市杵嶋姫命・熊野坐大神・吉野坐大神を祀る。
 創紀は詳らかでないが、大峰連山の一峯弥山(1895メートル)から北西に伸びた尾根の先端で、天ノ川の曲流する地点にあるため、山と水の信仰を根源とした弥山の神への信仰に始まり、これに弁財天信仰が習合したものである。
 弥山とは須弥山の略で、世界の中心にそびえるとの仏教的世界観から名づけられた聖山で、大峰七十五靡第五十四番の行所である。古来、弥山神社を奥の宮、坪内の当社を口の宮と称した。弥山を水源とする川の下流の小平地の「坪ノ内」は「壺ノ内」、即ち『漢書』の「壺中の天」の故事から俗世を離れた仙境を指す。弥山に鎮まる山と水の神が山麓の聖地坪内に影向して、河川を神格化した神弁財天が、弥山の神と一心同体の神として習合するのも当然といえよう。しかもこの神は八臂に弓・矢・刀・斧の外琵琶を持つ神として当地を琵琶山白飯寺という神仏混合の寺社号を持つことになった所以である(天川)。
 社伝によると、天武天皇の創祀で役行者が大峰開山の拠点としたので大峰本宮ともいう。また吉野熊野中宮・宗像社とも称する。
 日本三弁天の一で、平安期以来高僧貴顕の参詣が多く特に南朝の崇敬が厚かった。当時社家十八戸、僧者三寺院、供僧九か院あった。中世末ごろ弁財天信仰が盛んになると、各地に末社が勧請された。また天川社家の能楽座の伝統でも名高い。
 『「大和志」』は宗像紳祠として「天川壮二十一村相共祭祀、正殿拝殿御厨所十二小祠、四個怪石、三所清泉、域内有寺号曰琵琶山白飯寺妙音院観音堂地蔵堂薬師堂行者堂護摩堂二級宝塔僧舎三宇曰理性院曰紳福寺曰来迎院一名御所坊」とある。
 天正十四年(1586)・慶安三年(1650)・延享四年(1747)と度々の火災で焼け、明和五年(1768)の火災では僅かに観音堂と廊下・表鳥居のみ残して全焼した(『桜本坊文書』)。明治の太政官布達で神仏分離、天河神社と改称現在に至る。
 社宝の能関係資料(県指定重文)は能面三十一面、能衣装三十点、小道具十六点、文書百二十点を数える。この外に後醍醐.後村上・長慶・後亀山天皇論旨等多数所蔵する。
 例祭は七月十七日。節分祭には 福は内、鬼は内 の行事が行われる。
     -奈良県史(神社)より―

境内
境内広場
左の社殿が行者堂でその左に「天石」
表参道
表参道

この灯籠の左に社号標があります
社伝への会談前
二の鳥居

稲荷社
稲荷神社社殿

稲荷社社殿
手水鉢
手水舎

鳥居の左側です
まず手水舎で身を清めてから鳥居をくぐるようにできています。
社殿への改題
二の鳥居をくぐって社殿に向かう階段
右側に「天石」
左側は『五社殿」
五社殿
五社殿

手前から
龍神大神
大将軍大神
大日霊貴大神
天神大神
大地主大神
五社殿前の天石
五社殿前の「天石」
天石
五社殿前の「天石」
舞殿
拝殿内

天川大弁財天社は拝殿と能舞台が一体となった社殿となっています。この社殿を「妙音院」と呼ぶようです。

毎殿舞台
能舞台

拝所の向い側
階段横の天石
階段下の「天石」
境内からの本殿
境内広場からの本殿
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