吉野神宮
よしのじんぐう

旧社格 官幣大社
所在地
奈良県吉野郡吉野町吉野山3226

御祭神 主祭神 後醍醐天皇 (ごだいごてんのう)
末社祭神 藤原資朝 (ふじわらのすけとも) 御影神社
藤原俊基 (ふじわらのとしもと)
児島範長 (こじまのりなが) 船岡神社
児島高徳 (こじまたかのり)
桜山茲俊 (さくらやましげとし)
土井通増 (どいみちます) 滝桜神社
得能通綱 (えのうみちつな)
境外摂社 尊秀王 (たかひでおう) 北山宮
由 緒
美吉野橋からの参道と近鉄吉野神宮駅からの参道の合流点にある丈六平らに鎮座する旧官幣大社である。祭神後醍醐天皇。かって吉水院で伝後村上天皇勅作の後醍醐天皇御木像を神体に奉祀してきたが、明治二十二年内務省告示で官幣中社吉野宮創立、御宸像を吉水院から迎えて創始された。明治三十四年官幣大社に昇進、大正七年吉野宮と改称した。天皇崩御の旧暦八月十六日を新暦に換算された九月二十七日に例祭が行われる。  現社殿は昭和三年の竣工。南から御影・船岡・滝桜神社で三棟並立する春日造。正中の変以来元弘・延元に至る(1324-45)後醍醐天皇の忠臣を祀る。この外境外摂社に上北山村大字小橡の北山宮があり、後南朝の尊秀王を祀る。当神宮一円の台地は丈六平らと称し、俗に丈六千軒跡という。明治以前までこの地に金峯山寺塔頭で丈六の蔵王権現を安置する一の蔵王堂(五間四面)があり、大峯七十五摩(行場)七十四番の行場であった。中世以来の重要な寺院集団のあった所で、元弘の変には大塔字吉野城の防衛拠点であったが、後攻略軍に占拠され、二階堂道薀の本陣になったと伝える。
      -奈良県史(神社)より-


神社入口

神門

境内案内板

鳥居と社殿

外拝殿

摂社

拝殿
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